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これが我が社の生きる道

エヌ・ティ・エス(広島県福山市)はハイゾーンの国内外著名ブランドから支持を得る縫製工場だ。中山貴史社長(55)は同社の強みについて、「上物、下物、裏地付きや厚地の製品など幅広く生産できるところ」と語る。

中山社長の父、晢氏が1967年に創業した。当時はワークウエアの生産が中心だった。66年に日本鋼管福山製鉄所(現JFEスチール西日本製鉄所)の一部操業が開始されて以降、同子供の数市の人口が増加。子供の数も増えたことから、同社では学生服ズボンを作って売ることにした。これが、会社が波に乗る一つの契機となった。

繊維産業の盛んな福山市で生まれ育った中山社長にとって繊維は身近な存在だった。また、「まるで催眠術をかけられるよう」(中山社長)に、周りからは家業を継ぐように言われて育ったという。

大学卒業後は名古屋のアパレルメーカーに就職し、量販店向けの婦人カジュアルウエアの営業を担当。中山社長は「仕入れや販売、人との付き合い方などの能力が磨かれた」と話す。3年勤めた後、結婚のタイミングで92年に家業へ入った。

エヌ・ティ・エスへ入社後は生産管理の仕事に就く。その中で支えとなったのが家庭内職の人たちだ。「仕事に加え、人間性のことまで教えてもらった」と中山社長。「この人たちのおかげで今の自分がある」と話す。

同社は85年頃からカジュアルウェアの生産へ徐々に転換してきた。しかし、90年代に入ると縫製工場の海外移転が進展。入社した92年当時は「定番的に生産していたユニフォームも含めて、まだ受注はあった」が、「3~4年後から急激にロットが小さくなった」。

厳しい環境が続く中、20年ほど前に、徐々に得意先を変更。ハイゾーンのブランドの商品の生産に軸足を移し始め、「4~5年経って、会社が良い方向に転がり始めた」。これまで「やっても採算が合わず、やりがいもなかった」仕事が「取引先と互いに助け合うような、ウィン・ウィンの関係が築かれてきた」。併せて、縫製技術も磨かれていった。

現在、国内ブランドと海外ブランドの仕事の比率はほぼ半々。中山社長は「浮気せず、現在の取引先と長く付き合っていきたい」と強調する。

今後の展望は「今の技術をそのまま維持する」ことだ。全国的に縫製業が縮小する中、「いかに残っていくかが重要」と話す。

本社 広島県福山市駅家町倉光409
社名 株式会社エヌ・ティ・エス
主要生産品目:婦人服(布製)
従業員 グループ会社含め31人
代表者:中山貴史

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福山市の縫製工場 | エヌ・ディ・エス

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